2011年3月15日火曜日

あるである主、地よ主を恐れよ。From まころん/オリーブリーフから


創造主である神と被造物である人間

私が地の基を定めたとき、貴方はどこに居たのか?
貴方に悟ることができるなら、告げてみよ。
貴方は知っているのか?
誰が、その大きさを定め、誰が計りわなをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめ込まれたか。
そのとき、明の星々が共に喜び歌い、
神の子達はみな喜び叫んだ。

海が噴き出て、胎内から流れ出たとき、
誰が戸でこれを閉じ込めたか。
そのとき、わたしは雲をその着物とし、
黒雲をそのむつきとした。
わたしはこれを区切って境を定め、
かんぬきと戸を設けて言った。
「ここまでは来ても良い。しかし、これ以上はいけない。あなたの高ぶる波はここでとどまれ。」と。。。

貴方が雌獅子のために、獲物を狩り、若い獅子の食欲を満たす事ができるのか。
それらが洞穴に伏し、茂みの中で待ち伏せしているときに。
烏の子が神に向かって泣き叫び、食物がなくてさまようとき、
烏にえさを備えるのは誰か。==ヨブ記38章==

人間は自分たちがただの被造物である事を知るべきである。
私たちには私たちを創造してくださった神が居られる。

『創造主である神、被造物である私。』

この関係を受け入れたとき、神が私に語り始めてくださる。
これが道だ、これに歩めと。事実、その神にあって、私たちは生かされているのだから。

私のいく所どこに置いても主を認めよ、主が私の道を真っすぐにされる。==箴言3:6==

生と死は主にある。
人の道もまた主にある。
人の生きる意味もまた主にある。
私が道であり、真理であり、命なのです。=ヨハネ14:6=


創造主である主が、非造物の形をとって地にお下りになった。
神が人となられたのである。理由は人間が神との平和を回復するにはこの道しかなかったからである。あまりに大き過ぎる代価。
この払われた代価、人の罪のために購いの代価として御自身を捧げられた主の血の代価、地獄に行かれた神の一人子,今の世にあってサタンの力に対して、イエスの御名によって圧倒的勝利を与えられた私たちが、全人類の為に死なれた主、全人類の為に復活された主の国、神の国の勝利を宣言しないで自分に恥とならないだろうか?このことをクリスチャンである私たちはもっと考え、感謝し、同胞である人類に対して「信仰の行動」をすべきである


キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕えるものの姿をとり、人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。=ピリピ2:6−8=

主イエス様が持っておられた力、命、は本来地獄に落とされるべきわたし、主の血に寄って雪のように白くされ、神の御前に立たされることを許されたわたし、購われた私たちの体に、聖霊さまを通して今宿っている。

先に購われた物として、主の道、福音を述べ伝える為である。

貴方には、すべてができること、
貴方はどんな計画も成し遂げられる事をわたしは知りました。。。。

私は貴方の噂を耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。

主はヨブの前の半生より後の半生をもっと祝福された。

 まころん




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