2011年2月28日月曜日

闇から光に From 佐和子さん



皆様こんにちは。
今週のみ言葉シェアです。

子どもたちよ、あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。
あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
            (1ヨハネ4-4)
サタンの配下にいる事により、時には自分が弱く感じられたり、惑わされてしまう事もありますが
あなたがたは、神からでた者です、そしてあの者に勝ったのです。
このみ言葉で大きな力が注ぎ込まれ、そして私は神様から出たものだから、弱い時こそ強い自分でいようと思いました。
神様の大きな愛の中で、そしてイエス様から大きな手を差し伸べていただいてから、早2年が来ようとしています。
人生に疲れ果てていた2年前の私がこの世にいた事が丸で嘘のように、今は平穏な人生を歩んでいる事に感謝です。  アーメン!!
             ありがとうございました。。      佐和子
     

2011年2月27日日曜日

救いの証とダヴァールで出会った『良き主』From 康史さん

私が初めて聖書を読んだ時、クリスチャンではありませんでしたが、その本が他の本とは何か違うということを感じ、驚いたのを覚えています。
福音書を読んでいるうちに、自分はとてもじゃないが、天国には入れない、神様、何とかして私は天国へ入りたいです、何とかお願いできないでしょうか、と、祈っていました。

そんな中で、中学 2年生の時でしたが、私の弟が、昼間に、友人と一緒にどこかに行くと言うので、どこに行くのか知らずに、一緒に出掛けて行きました。
こは、教会でした。
そこの牧師さんが、「イエスキリストは、あなたの罪を背負っ て十字架で死んでよみがえってくださった、それを信じるだけで天国へ行ける。」と話されました。私は、こんなにおいしい話があるのなら、と、何の迷いもなく信じました。
神様が祈りにこたえて下さり、天国に行ける道を教えて下さったことを感謝いたします。

しばらくたって、私は、「牧師さんはああ言ったけれども、聖書の どこにそれが書いてあるのかなあ」と思いました。
そんなとき、黙示録1:5「イエスキリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち」が目にとまり、救いの確信を得ました。
 
クリスチャンになってから年数がたってくると、通っていた教会の牧師先生の影響を強く受けるようになってきました。
特に、10代のころということもあったかもしれません。
その教えの中には、誤ったこともあるかなと思うようになってきました。
それからしばらくして、ダヴァール教会のメッセージを聞くようになって、特にそれを思うの でした。
そのひとつが、神様は、人を監視して、縛る感じの方であるということです。

しかし、ダヴァールのメッセージで、少し見えてきたのは、神様は私たちに良くしてくれる、祝福して下さる神様であるというものです。
また、「世を愛してはならない」という言葉を、私が取り違えて、何かに縛られるような印象を持ちました 。
自分らしさを失うことが、謙虚で清く貧しくて良いというような考え方です。
しかし、キリスト降誕時に、御使いが「地に平和(繁栄)」ということを言ったことを学びました。
神様は自分を縛り、監視して、自分が調子に乗ると躓きの石を前に置くと言ったような考え方をどこかでしていましたが、それは違う、神様は、おしみ なく、とがめることなく与え、すべてのものを豊かに与えて楽しませて下さる方であると学びました。
それらの言葉は、以前から知っていましたが、丸暗記的に、他人事のように感じていました。

初めてダヴァール教会に行ったのは、2006年の夏でした。賛美に確信と勝利があること、メッセージが本物であることを感じました。そこに行って、異言で祈ることは、クリスチャンであればだれにでもできることを教えられました。私も、そこで初めて異言で祈りました。
 
浅井先生が、私に「悪い思いが出て行きました。」とおっしゃったあと、人と接するときに、自分の目の前にいる人に対して、何のいやらしさも、探りも、裏読みもない自分に気付きました。
 
ダヴァールのメッセージを聞く以前には、どうしても、行きつくところは「神様は残酷だ、地獄を作って、悲惨を作って…、」でした。
しかし、ダヴァールで、神様は良い方であると学び、悪いものはサタンから来ることを学びました。3ヨハネ「すべての点でも幸を得、また、健康であるように祈る」、また、福音 書で、イエスさまが、来る人すべてを癒されたこと、マルコの福音書「病人に手を置けば癒される」、イエスのおことば「病気にかからず、健やかでいよ」、イザヤ書53章「彼は私たちの病を負った」・・・

すでに知っている言葉のはずなのに、わざわいのこともそうですが、病気一つとっても、病気は神様からは来ないと、今ま で気づかなかったのだなと思いました。
神様が私にしてくださった大きな恵みは、ダヴァールのメッセージを通して、神様のことが学べるということ、そして、神はひどい方、意地悪な方ではなく、良い方であると教えて下さっていることです。
 
 

日本からゴスペルテントの仲間への便り From 実穂

GTメンバーの皆様、
 
ある程度まとまった数の商品を昨日そちらへ送ることが出来ました。来週中にはそちらに届くと思います。
いつも励まし導いてくださる神様に感謝します!
商品は聖書バッグとペンケースとnew itemのキーホールダーです。
ハートの「God be with you」キーホールダーは詩篇23:4とともにパッケージしました。ダビデが「わが巌、わがとりで、わが救い主・・・」と賛美した主。そして今もこの地上に愛を注いでくださっている主が世界中の人々とともににおられ賛美の声が世界中で湧きあがりますようにという願いを込めて作りました。
バレンタインズデイ用に考えていましたが間に合わず今になりました。。。が今後のゴスペルテントの活動に少しでもお役に立てば幸いです。この後も制作と祈りを続けていきます。
いつもみなさんの新しい作品や販売の様子をshutterflyで見て励まされています!
感謝します。
 
実穂

2011年2月26日土曜日

がんばるパンダ奮闘記 From 由夏

きのうの病院実習で担当になった患者さん、86歳の黒人のかたで、37年間、教会でパスターをされていたそうで、日曜日に教会でたおれて、腰のいたみと、手足の脱力感で病院に入院しているかたでした。私もアメリカできて、クリスチャンになりました、っていったら、ハレル~ヤ、みたらクリスチャンっておもった、っていってました。教会のみんながまってるから、はやくよくなる、ハレル~ヤ、I'm in Lord' hands!っていっていました。
朝食がくるから、患者さんをいすをうつして、そのあいだに、シーツを交換していたら、先生が部屋にはいってきて、歯磨きと手と顔を拭いてあげたの?といわれて、あ、シーツを変えてから、とおもってました、といったら、まだ食事がきてなくても、そっちのほうが先でしょ!シーツは後からでもかえれるんだから、といわれ、優先順位というか、患者さんにとって何が一番そのときそのときに必要なことか、小さなことでも、気づいてあげれるかが、自分はまだぜんぜんわかってなかったことにきづきました。そのあとも、頭のなかがいそがしくて、ナースコールを手の届くはんいに置き忘れたり、、そのとき、先生が私を部屋のそとから、私を後ろを振りかえさせて、What's wrong with tha picture?ってきいて、あ、コールライトを渡すのわすれてた、と気づかせてくれました。あ、私はまだまだ、自分のことしか考えてない、患者さんの立場にたってあげれてないって、気づかされました。。

今学期になって、病院実習のときの先生もかわって、ちょっととっつきにくい先生?って思っていたのですが、きのうの実習のときに、あなたはたぶん文化の違いもあるのだとおもうけど、あなたはいい笑顔もってるんだから、もっとしゃべるように自分のキャラクターがでてこれるようにしないとね、今学期がおわるころには、ちょっとあんたはだまっていなさい、っていうくらいに変わってるね!っていわれました。

シーダーサイナイ病院て、ユダヤ人がつくった病院?なんですね?? ユダヤ人よくみます。 部屋にもへぶる語で書いてある、壁かけがありました。

来週もがんばるであります。

ぱんだ
 

2011年2月25日金曜日

第一ヨハネ4:16 神は愛 From らんじゃさん


皆さんへ

こんにちは。今週の御言葉のシェアです。

<今週の御言葉>
私達は、私達に対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(1ヨハネ4:16)
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自分の内側に住んでいて下さっている、神様の愛を自分を通して写し出す事が出来る様にもっともっと霊的に成長したいと思いました。今週読んだ聖書の箇所にそのままの心を語った箇所が有ったのでシェアさせて頂きます。
”このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたの良い行いを見て、天におられ るあなたがたの父をあがめる様にしなさい。”
(マタイ5-16)

自分の内側から出る、神様の愛が日々の毎日の生活の中で、どんな人と接しようと(自分を攻撃、否定する人に有っても)、又自分が辛くて大変な時こそ、変わらぬ愛が自分の内側から現れ、シェア出来る様に成りたい。聖書の中で神様が語られてる言葉が実生活で1つでも多く、実際行える様に増やして行ける1年にしたい。
それから家族、親しい人にこそ、この愛を行い、伝える事が怠りがちになるけど。。そういう人たちだからこそ、真剣に素直に又、謙虚に表して行きたい。そして必ず伝わると信じている。

いつも神様が喜んで私の内側に住まわれ続けて下さる様に、日々成長して聖い神様の住まわれる宮としていつも整え て置きたい。

この今週の御言葉を目の前の目に見える事に心を動かされないで、この御言葉そのまま受け入れ信じて行きたい。

らんじゃ

2011年2月24日木曜日

天国への階段:From まころん

ダヴァールの礼拝堂の前の階段にいつもの奉仕者達が一段ごとに並んで下を眺めてる。
どの顔も笑顔だ。


先週のランチの当番は大人の男子部。
柳沢さん**お汁粉と巻物。
田代さん**その他の寿司いろいろ。
潤さん**握り専門。


この3人が作ったランチ、、、
ああもうひとり、4人目は大津さん**お稲荷さん、この寿司だけ他のの3倍くらいの酢めしがはいって,油揚がはじけてたっけ、、、


この日のランチは神の国に生まれた物だった。


柳沢さん:去年の暮れからお汁粉を(独り住まいで小さな鍋しかない為)作り続ける事2ヶ月。
最後の日は会社を休んで団子つくり、お汁粉60人分の仕上げた。
最後の週は夢の中でお汁粉作って、起きてる世界では指にお汁粉をかき混ぜる毎日のため、豆が出来たそうだ。


味はもちろん『奇跡が創造したおふくろの味』だった。


つづく、巻物の中身のアボガド探し,神の国の建設に嫉妬したサタンが(今ダヴァールでは別名「アハハ」が)キッチンの電球を切った(電球探す時間がもったいないのでそのまま続行!)薄暗い中でもくもくと栄光の戦い、、、


田代さん:やはり2ヶ月毎日寿司ランチを考えて寝ても起きても、果ては夢、幻の中でも寿司のコンビネーションを考えてくれていた。


途中経過で皿に乗った寿司の写真が定期的に4回、品変えて送られて来た。
「これでもか?」「これでもか?」って。。。蕎麦寿司(驚きの味)コーン寿司、蟹、エビ、なっとう、他にもいろいろあった、見た事のない寿司もあった。


柳沢さんと田代さん2人の天使が2ヶ月毎日、毎日、霊と魂と体と時間、の全てを捧げ、作ってくれたこの日のランチ。。。(正直ここまでやらないでしょ?!普通の人では。やはりこれは『油注ぎ』意外には説明できませんよね!?ハレルヤ!)


いつもは奉仕者達が忙しそうに行き来する階段のあたりを、この日はいつもの奉仕者全員棒立ちで応援、観戦(?)していた。


どの顔も、自分を忘れて笑ってる!笑ってるのに見つめてる!
階段の下に映る景色がなんか異様で、それでいて静かで、しかし力があって、、、


彼らの目には寿司を作る4人の男子部だけがうつっていたのかもしれない、、、
でも彼らの後ろに、今日の日まで守り、導き、支え、励ましていた、私たちの主イエス様が確かに共に立って居られた。



ダヴァール男子部の主への捧げもの、真実で嘘のない、混じりけのない『美しいランチ』であった。


感謝と賛美と全ての栄光を主に!


まころん

2011年2月23日水曜日

神は愛 From 柳沢さん(ブログの大将)


みなさん、こんばんは。

御言葉のシェアです。

”私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。”
(1ヨハネ 4:16)

神は愛。これは、なんか自分には、原点のような気がします。神様から愛されている、そして自分は神様を愛している。
そしてその愛と言うものは、神様、自分以外の、また、教会のメンバー以外での、日常で出会う人たち、すべてを、愛を持って接すること。
職場なんかでは、いやな奴もいるけど、相手の態度が変わればなあ、と言う気持ちもあるけども、でも、自分自身が愛を持って接すれば、必然的に、相手も変わるものだなあ、と、最近思い始めているところであります。まあ、すべてがうまく行くわけではないけども、忍耐を持ち続けていけば、相手との距離も縮んでくる、と。そんな時には、やはりうれしいもんで、神様、ありがとう!と、心で思ったり。そんな時には、心に平安が生まれるもんですね。
もともと人間嫌いな自分が、結構、最近は人間、好きになってきました。
神様の愛。これに勝るものはない、と思います。

感謝とともに。

てつお

2011年2月22日火曜日

箴言1:17 主を恐れる事は知識の初めである From 紀子さん



無事、目的地に到着しました。神様がどこにでもいてくださることを知っていること、受け入れられることは幸せなことだと思ってます。

最近、牧師先生の著書をまた、読みかえし、いろいろな説明が、わかりやすく、神様のかたちにつくられて、というより、聖書の正しい解釈

という、題名のほうがぴったりだなと思ってしまいました。。。

何千年たっても、聖書が、世界で一番売れている書物ナンバーワンなのは、聖書から、古いものも、新しいものも、とりだすことができるからであるから、

神様の霊がそこに息づいているからなんだということを改めて感じさせられました。

どこにいっても聖書がおいてあって、それを読める、(もちろん自分がいつも読んでいる、聖書が一番なのですが)それは幸せなことだと思いました。

ただ、自分の好きなところだけ読んでいると、偏食になってしまうのですが、ダバールの礼拝では、私達が偏食にならないように、まんべんなく、教えて頂ける

おかげで、とても助かります。あーなるほど、こんなにたくさん御言葉があるから、物足りない、には絶対になりえない、むしろ、力もりもりに

なるのかなって、思いました。

箴言1:7

主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

偏食はよくないですね。やっぱり

God Bless you
鈴木より

神さまへのラブレター From らんじゃさん

今年の1月からダバールに来て、本当早いスピードで駆け抜けて行った実り多い、又学びの多い1カ月半でした。この 期間、正直色々な事が起きました。私の神様への信仰を攻撃する様々の事柄。。。しかしどんな状況下にも神様は私を守り続けてくれた。このサタンの攻撃の戦いに必要な”その通りです!”っと言わんとばかりの、御言葉の武具を毎週土曜の礼拝で浅井牧師先生の説教を通して与えて下さいました。まさみ牧師婦人によって、多くの励ましの言葉を下さいました。そして結果として、全ての起きた事柄を私だけでは無く、又周りの人達に益と成る様にして下さり、神様の栄光を見せて下さりました。
昨年の年末キャンプに、子供達と初参加し”私を導いて下さい!!”と祈った通り、今確実に神様の果てしなく深い愛の導きの中に居ます。キャンプでの”精霊のバプテスマ”を受けた日から、新しい命を与えて下 さり、私を全く新しい者へと造り替えて下さりました。
“もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです”
と日々心から実感してます。

今まで、長いクリスチャン生活を送って来た私ですが。。新しく造り替えて頂いた事によって、生活が一遍してしまいました。聖書をまともに通読した事が無かった私が何よりも聖書を読む事、御祈りする事、何よりも賛美をする事が大好きに成りました。神様、大好きになってしまったのです!
毎日の神様との交わりの時間が待ち遠しく、神様の事、いつも考え思っている自分が居ます。完全に神様に恋に落ちてしまいました♥って感じです。こんな気持ちになったのも生まれて初めての経験。。全て神様の御業と愛によってです。
こちらダバールに来る前は、色々な不安、心配、家族の病気など。。。多くの死(サタン)の支配下に居た私です。しかし今はその事柄を支配して行く。いのち(神の愛)によって支配してやる!!と固く決意した私が居ます。あくまで。。。
自分の肉の力ではなく、信仰と共に神様に委ねて。(これが大事ですよね?!)
今、少しずつですが。。。自分がこれから残されたこの世での時間、何をするべきか?!歩むべき道が見え始めて来ました。神様は確実に導きをして下さり、歩むべき道を示して下さっています。私に与えられた仕事?!。。。もちろん今、子育ての真最中、賜物として頂いた創作の楽しみも私の生活の中の大事な仕事ですが、まず何よりも神様。神様を褒め讃えること、神様に聞き 従い、御心を行い喜んでもらう事。信仰により、まず神の国とその義を求めなさいですよね!!
そしてまだこの恵み、神の愛を知らない家族(彼らは既に救われたと信じています!!)、知人達、そして果てには多くの人達に伝えて行きたいです。神様の栄光を帰す良き器として、聖書の”使徒の働き”に出てくる、女弟子”ドルカス”のように、ただただ神様の為に生きて行きたいです。ダバール教会の兄弟姉妹の方々と共に神の国の子として、御言葉の武具を着て、良き戦友としてサタンと戦って行きたい。そして神の子達をもっともっと一諸に増やして、神の国(天国)の中で一諸に生きたいです!!

こんな事を最近毎日、考えながら思い過ごしている私です。。。
こんな風に私を替えて導き続けて 下さっている神様に感謝、喜び充満でハレルヤ!
皆で一諸に神様の温かくて、大きな懐に飛び込んで行きましょう〜!!♥
良き神様は、いつも私達の方から歩んで来るのを待って居て下さいますよね!!

李 蘭子

そうしたい!がドンドン From 憲司

きのう、クリスチャンになってから初めて(小さい頃に純のお父さんと行った(連れて行かれた)ことがある。その時は大泣きして、別の部屋に連れて行かれて聖書の話を聞かされたっけ。確か岩の上の種の話だったかな。)日本の教会に行ってきたよ。
名古屋神召教会ってMorrisErikaが行ってた教会へ、啓輔とね。
啓輔の話だと賛美とかは元気のある方だって。
そしてさっき今日のSun@4を見てた。
比べちゃかんのだろうけど、自分の奥底に届いてくる度合いがぜんぜん違う。
やっぱりアメリカに行って早く成長(霊的なね)したいな。
そして日本の人たちにも奥底まで届くような神様を伝えてあげたいよね。
本当はもっと困っている国の人達にそうしたいんだけど、日本のことは大好きだから。
純のお父さん達はここまで4、50年だから…今からだと80、90歳か。けんじでもまだいけるな。ハハ
アメリカに行くことが神様の計画かはまだ分からないけど
クリスチャンになってから(その前からそうかもね)「そうしたい!」がドンドン大きくなってるから何年か、何ヶ月か先にはそうなってるよ。

あと早く子供達に逢って(年が明けてからはまだ逢ってない)神様のしてくれたことをもっと話したい。
創大は来月、小学校の卒業式なんだ。

「おーい、行くで!早く靴履けよ〜!」From 潤さん

”おーい、行くでー!!、早く靴履けよー!!”
叫び声というのか怒鳴り声にちかいというのか、そう子供達に伝えると足早にギターとコーヒーを手にしながら3人がそれぞれ違う歩幅でパーキングへと向かう。
金曜日午後6時、車にキーを差し込みバンド練習の為教会へと向かう。
いつもより少々早めの夕食をとり、子供達と車内でたわいもない話をしながらハンドルを握っていると、信号待ちの間飛び交うヘッドライトが合図なのか、彼らが”神様の歌!、神様の歌聞きたい!”とねだり始めるのがいつしか金曜日の夕暮れ恒例行事になっていた。
彼らは”賛美”の事を”神様の歌”と呼んでいる。
典型的で日常的なLos  Angelesの渋滞の中、“パサディナまで大変ですねぇ~”なんて言われた事が何度かあるが、不思議な事に実際大変だとは一度も感じたことが無い。
むしろ、この時間を待ちきれないくらいに楽しみにしている自分がいることに気付かされるのである。
考えてみると去年の今頃なんて楽しみだとか、喜びなんて全くと言っていいほど感じる余裕も無く、
ただひたすら重たくのしかかってくるしんどさみたいなものに支配されてた様な気がする。
ふてくされに似た、そして儀式のようなため息をつきながら毎日を迎えていたようだった。
子供たちもそんな父親を見ながらさぞかし嫌な思いをしていたに違いない。
それが突然とっぴょうしもなくダウァールに足を運び始めることになり、降り始めた雨を喜ぶ広い砂漠に佇む乾いた草木の様に“神様の愛”に触れ始めたとたん、自分の心の中が喜びで満たされ始めるなんて誰が想像出来ただろう。
それまで神様を肯定も否定もしなかった自分が神様を受け入れることによってこんなにも日常が変わり始めるなんて・・・。
偶然は存在しないが、神様は存在する事がわかった。
神様は自分がここへ導かれて来るまで待っていて下さった。
それまでの自分の現状を悲観的に捉えていた時期もあったが、実はすでに色々な物を与えられている事を気付かされた。
そして自分は文句無く愛されているんだという事を教えられた。
“愛とは何の見返りも求めず、与え続けるものだ”
かつて鉄の女と呼ばれた元英国首相、マーガレット・サッチャーの言葉をふと思い出した。
この彼女が語る愛の定義とは、まさに神様の事を語っているように聞こえるのには少なからず驚いた。
自分はこの場所へ来るべくして来た。
それは幼い子供が母親の手に引かれながら歩いて行く様に。
それがとても嬉しかった。
ここ最近、何度か耳にした出来事がある。
久しぶりに会った人に言われる。
“すっごい元気そうだね!!いい顔してるじゃん!!”
“うん!!知らなかったの?”と自分。
久しぶりに電話で話した人に言われる。
“すっごい声が元気そうだね!!いい声してるねぇ~”
“うん、知らなかったの?”とまた自分。
誰も突っ込んでくれないのは何故なのだろう・・・?
そう、それもこれも全て神様のおかげなのです。
いつでも神様に対する感謝を忘れずに、そしていつでも見守られているんだという事を感謝して。
満たされ始めた自分、もっと喜べるんだという事を感謝して。
決してギターリストではない自分が神様の為に最高の音で称え、大好きな音楽を通してお返ししていきたいといつも願っています。

“おーい、行くでー!!早く靴履いてやー!!”
叫び声というのか待ちきれずせかす声にちかいというのか、そう子供達に伝えると足早にギターとコーヒーを手にしながら今日も3人がそれぞれ違う歩幅でパーキングへと向かう。
土曜日午前8時前。
学校は休みなのに、一緒に早起きしてくれてありがとう。
バックミラーを覗き込み心の中でそうつぶやきながら
今日も教会へ向かう為に車にキーを差し込む。
見慣れた朝日に目をしかめながら、喜びがつい溢れてくる。

木村 潤



神の国からおはよう(初めに)From まころん

神の国の子供達(大人達)からの手紙をこのページでシェアしたいとずーっと前から思っていた。
なかなかいい手紙、一人で読むにはもったいない気がする。


彼、イエス様と生きるようになって今まで忘れてた涙が溢れるらしい、、、なんでかなあ?
『心暖かいんだよね〜あんなに毎日しんどかったのに』、、、いまは静かな喜びがいつもこころにあるって、、、


出来る限り原文のまま載せようと思う。