2011年2月22日火曜日

「おーい、行くで!早く靴履けよ〜!」From 潤さん

”おーい、行くでー!!、早く靴履けよー!!”
叫び声というのか怒鳴り声にちかいというのか、そう子供達に伝えると足早にギターとコーヒーを手にしながら3人がそれぞれ違う歩幅でパーキングへと向かう。
金曜日午後6時、車にキーを差し込みバンド練習の為教会へと向かう。
いつもより少々早めの夕食をとり、子供達と車内でたわいもない話をしながらハンドルを握っていると、信号待ちの間飛び交うヘッドライトが合図なのか、彼らが”神様の歌!、神様の歌聞きたい!”とねだり始めるのがいつしか金曜日の夕暮れ恒例行事になっていた。
彼らは”賛美”の事を”神様の歌”と呼んでいる。
典型的で日常的なLos  Angelesの渋滞の中、“パサディナまで大変ですねぇ~”なんて言われた事が何度かあるが、不思議な事に実際大変だとは一度も感じたことが無い。
むしろ、この時間を待ちきれないくらいに楽しみにしている自分がいることに気付かされるのである。
考えてみると去年の今頃なんて楽しみだとか、喜びなんて全くと言っていいほど感じる余裕も無く、
ただひたすら重たくのしかかってくるしんどさみたいなものに支配されてた様な気がする。
ふてくされに似た、そして儀式のようなため息をつきながら毎日を迎えていたようだった。
子供たちもそんな父親を見ながらさぞかし嫌な思いをしていたに違いない。
それが突然とっぴょうしもなくダウァールに足を運び始めることになり、降り始めた雨を喜ぶ広い砂漠に佇む乾いた草木の様に“神様の愛”に触れ始めたとたん、自分の心の中が喜びで満たされ始めるなんて誰が想像出来ただろう。
それまで神様を肯定も否定もしなかった自分が神様を受け入れることによってこんなにも日常が変わり始めるなんて・・・。
偶然は存在しないが、神様は存在する事がわかった。
神様は自分がここへ導かれて来るまで待っていて下さった。
それまでの自分の現状を悲観的に捉えていた時期もあったが、実はすでに色々な物を与えられている事を気付かされた。
そして自分は文句無く愛されているんだという事を教えられた。
“愛とは何の見返りも求めず、与え続けるものだ”
かつて鉄の女と呼ばれた元英国首相、マーガレット・サッチャーの言葉をふと思い出した。
この彼女が語る愛の定義とは、まさに神様の事を語っているように聞こえるのには少なからず驚いた。
自分はこの場所へ来るべくして来た。
それは幼い子供が母親の手に引かれながら歩いて行く様に。
それがとても嬉しかった。
ここ最近、何度か耳にした出来事がある。
久しぶりに会った人に言われる。
“すっごい元気そうだね!!いい顔してるじゃん!!”
“うん!!知らなかったの?”と自分。
久しぶりに電話で話した人に言われる。
“すっごい声が元気そうだね!!いい声してるねぇ~”
“うん、知らなかったの?”とまた自分。
誰も突っ込んでくれないのは何故なのだろう・・・?
そう、それもこれも全て神様のおかげなのです。
いつでも神様に対する感謝を忘れずに、そしていつでも見守られているんだという事を感謝して。
満たされ始めた自分、もっと喜べるんだという事を感謝して。
決してギターリストではない自分が神様の為に最高の音で称え、大好きな音楽を通してお返ししていきたいといつも願っています。

“おーい、行くでー!!早く靴履いてやー!!”
叫び声というのか待ちきれずせかす声にちかいというのか、そう子供達に伝えると足早にギターとコーヒーを手にしながら今日も3人がそれぞれ違う歩幅でパーキングへと向かう。
土曜日午前8時前。
学校は休みなのに、一緒に早起きしてくれてありがとう。
バックミラーを覗き込み心の中でそうつぶやきながら
今日も教会へ向かう為に車にキーを差し込む。
見慣れた朝日に目をしかめながら、喜びがつい溢れてくる。

木村 潤



1 件のコメント:

  1. いつも、賛美の素敵なギター演奏に聞きほれております!!

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