2011年4月12日火曜日

ヒデさんと真澄さんの聖書朗読会


7:00pm ~ 8:30pm

始めの祈り (真澄)
 
賛美:命は主に

聖書朗読: ローマ人への手紙 第13章~コリント人への手紙 第1章〜 4章

5分間の瞑想

終わりの祈り(ひでさん、真澄)
 

Discussion:

ローマ人への手紙の第13章から最後の章まででは、神様のルールまたは神とは何か、どうして神様は私達の前に現れ正しい生き方、神の義とはどういうものなのかを繰り返し言い聞かせているようだ。人間と神様の理想の交わり、正しい行いはどういうものなのか。神様は良き神様、常に皆に平等な神様。
権威がありその存在している全ての権威は神様によって立てられたものと書いてあります。それに従う人は正しいです。
神への感謝は神の立てた権威に従うことだと思います。人間は神様がつくられたもの。そういうことで人間同士で憎み合い、争い、殺し、裁きし合うことは神の権威には絶対あり得ないことです。神様の願いは人間一人一人が正しい生活をすること神の国を広げること。私達はどうしても自分の楽な方へ向かう傾向があります。常に自分の心の中に”正しい生活”を刻み込まないといけません。
神様から権力を与えられた人は祝福されている反面責任感も大きいのではないかと話し合いました。その間に困難や試練もあるでしょう。
神様に愛されていることを知っている者は、こういう困難や試練などは苦を感じずに出来るものだと私達は思いました。

コリント人への手紙1章から4章では神様が私達に与えてくれたもの、イエス・キリストが十字架につけられた意味などが書いているようでした。
神様は弱い者を選びます。その理由は強い者を辱める為にと書いてあります。私の考えでは、強い者は自分の努力で得たものだという高ぶりがあるので神様の存在を忘れがちで感謝の意を示さない。こういう者は同じ人間を裁いたり、騙したり、優しさを失い、悪い考えを自然に持つ傾向がある。
逆に弱い者の中には学力もない人もいたり、知識もない人もいる、それで謙遜で他の人に従える姿勢を持っているので、神様はこういう人達を祝福しやすいと思う。4章では、私達人間を、キリストのしもべ、または神の奥義の管理者だと考えなさいと書いてあります。
この場合は、しもべは管理者には忠実であるあることが要求されるからである。
現在でも上下関係があり部下は上司に従い忠実であるのが今でも存在する。
そういう風に私達も神様、イエス・キリストは私達の支配者で、神の国の管理者であることを常に覚えておく必要があると改めて思いました。
神様のルールに従えば、必ず自分の中に本当の幸せと本当の自由が与えられると私は信じています。



真澄

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