2012年7月4日水曜日

水瓶に水を満たしなさい。


『イエス様ならどうされるか?』

何かを決める時、行動に移す前、いつもそれを思う。
自分の考えではなく、主に聞くこと。
80%以上の答えが、自分が普通に思う事と違た答えが返って来る。

先日、結婚式があった。
ぎりぎりまでいろんなことが決められず(教会で決めていい事ではないので、本人達からの指示を待機していて、受け取り、要望に出来るだけ添い、でも神さまの御心を聞いて一つ一つ決めて行く必要がある。
出来るだけ主の心を(そのために式をする人にそれを受け入れてもらう必要もある。)それがずーっと頭の中で鳴っていた。
式当日,直前までいろんなことが起きた。

協力してくれる人たちにできるだけ全ての流れを知ってもらえるように、何ども話し合いをし、説明した。(内容が変わるたびに細かく説明して、実際に現場で動いてみた。)
毎晩、その日の事を頭の中で想定して動いてみた。

「イエス様、ここはこれでよろしいですか?」何ども聞いた。

案内を作り始めた頃は、まだ皆の心が燃えてなかった。
必要だと思える物を皆に作ってもらう必要がある、それをどのレベルまでやるか?
正直、あまり一生懸命作ってもそれを見つめて見てくれる人がいる訳でもない物を、ここまで信者にやらせていいのか?(やる必要があるのか?)
式に来た人たちがその道を通る瞬間、目に留まるだけの物、単にサインになれば良いのではないか?

「イエス様どう作りましょう?」

私達の主の願いはいつも想像を超えてとても高い。

みんな文句一つ言わず、頑張ってくれた。
このころには、既に「結婚式は絶対にうまくいく」という確信が与えられた。

出来た物は非常に美しかった!

人に認められる必要の無い高品質な作品が出来た。
神の国で金賞が頂けそうな物だった。
「ありがとう、皆!」心の中で何どもそう思った。

客が気がつきもしない事まで細かく決めた、細かく練習した。
何ども話し合い、やってみた。

結婚式終了後、奉仕してくれた子らの顔は天使だった。

『主の御名だけが褒め称えられますように。』

奉仕者がある一定のレベルを超える時、彼らの心は喜びで満たされている。
彼らの心は主の愛で結ばれている。
純粋に、ひたすら毎日一つのゴールに向かってだけ生きてくれた2週間。

ダヴァールの歴史の中に、何ども、私達の間を歩かれる主を見た。

その時はいつも、信徒達が無言で奉仕をしている時だったように記憶する。
いつもはごく普通の信者が、時に神々しく見える瞬間。
私達は神のかたちに造られた。「ああ、このことだ」と思える瞬間である。

カナの婚礼で水を運んだ者達。
主の言われた事をつぶやかず、疑わず、行ってくれた弟子達が、水を葡萄酒に変えてくれた、野のユリがどうして美しいのかそれを体験した者達。

『水瓶に水を満たしなさい。』
彼らは、水瓶を渕までいっぱいにした。

まころん

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